永暦元年 - 1160年03月01日
関屋おばあちゃん、連行・訊問される
《指名手配――この顔にピンと来たら六波羅へ。九条院(近衛天皇の后・藤原呈子)の雑司女・常盤の産んだ義朝の子供、三人あり。みな男子なるゆえ、放置すべからず。》
常盤ママの脱出は、本当に間一髪だったみたい。俺たち三人の幼い兄弟を生かしてはおけん、ということで、六波羅(つまり平家の本拠地)から兵が派遣されて捜索されたんだけど、もちろん常盤ママも俺たちも、あのキッツーい逃避行の末に大和に逃げた後。残っていたのは、京都の揚梅(やまもも)町ってところに住んでた常盤ママのママ、関屋おばあちゃんだけだった。
平家ってひどいよ。「娘や孫の行方を知らないなんてことはないだろう」なんていって、六波羅へ引き立てていったんだ。関屋おばあちゃんは本当に何も知らなかったんで、
「左馬頭(義朝パパ)が討たれたと聞いた後、幼い子供を引き連れて、行方不明になってしまったんです」
と答えたのに、「知らねえわけねえだろ!」って様々な拷問に及んだんだって。でも、おばあちゃんもしっかり者で、
「うちももう60を越えた老いの身どす。何ごともなく過ごしたとしても、どれほど命がおますやろ。三人の孫たちは、まだ10歳にもならん幼いもんどす。もし無事でおわしたら末は長いことおます。今日明日ともわからん露のようなはかない命を惜しんで、行く末長い三人の命を失うようなことはようしまへん。たとえ行方を知っとっても申しまへんえ。ましてや、夢にも知らんのどす」
なんて答えたんだ。
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