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移転先はこちら→「トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか」
「リンク」が絡む問題に関しては、「文化圏」というとらえ方でものごとを見ると、ネット上の議論もかなりすっきりする部分があるようだ。
ライブドアブログが、1月10日から「トラックバック元の記事にトラックバック先のブログURLが含まれていない場合、受付を拒否する仕組みを導入」すると発表した(livedoor Blog 開発日誌:年末年始を写そう!livedoor ピクスリニューアル、トラックバックスパム防止につきまして)。これは多くのブロガーからは「やっと導入か」という賛同の声も上がっているが、一方で「そんなことされたら、大量のトラックバックが送信できないじゃないか!」と激しく抗議するブログもあらわれた(CODY スピリッツ!:ライブドアブログのトラックバックスパム防止策導入についての文句をローゼンメイデン風に書いてみる)。
トラックバックするときに、相手記事への言及リンクは必要か不要か……トラックバックスパム問題も絡んで論争となってきたが、これもまた、トラックバックをどのようにとらえているかという考え方で分けると、すでにネット上には4つの文化圏が存在しているように思われる。
今までこのブログでは、基本的に「トラックバックをするときは言及リンクをつけよう」ということを基本にしつつ、でもそれを押しつけるわけにはいかないから各自のポリシーを表明しておいたらいいんじゃないの?と、ある意味、八方美人な言い方をしてきた。
一方で、「みんなのブログ」や『できる 100ワザ ブログ』などの原稿では、初心者向けに、言及リンクをしてからトラックバックすると問題が起こらないですよー、と啓蒙してきたつもりだった。
ところが、実際には、すでにネット内でその解釈をめぐって4つの文化圏ができており、その文化圏同士の衝突が起こっている、と考えた方がわかりやすそうなのだ。
前回と同じような図である。

縦軸は、相手へのリンクが「必要」「なくてもいい」「何ですかそれ」という3つに大きくわけてある。横軸は、相手記事との関連性が「必要」「気にしない」という軸である。本当はもう少しそれぞれの文化圏が重なるところもあるのだが、デザイン上、少し離して書いてあると思っていただきたい。
まずは極めてネット原理主義的、あるいはネット原住民的な「言及リンク文化圏」である。この原則はわかりやすい。「相手の記事に言及したというのを通知するのがトラックバックなのだから、リンクは当然必要だし、内容も関係あって当たり前」というものである。私自身も基本的にここに属している。
ネットの技術者的には、ここに立ってトラックバックスパムを排除する例が多い。たとえば、naoyaさんは「言及なしトラックバックを弾くMovable Typeプラグイン」を公開した。tDiary開発者ただただしさんも、言及なしトラックバックには厳しい態度を示している。exciteブログ、今回のライブドアブログも、この立場に立って「言及なしトラックバックをそもそもできないようにすれば、スパムはなくなる」という立場である。
この文化圏は、リンクと内容関連性、二つともそろって初めてきちんとしたトラックバックであり、それ以外はスパム、という、割り切った考え方だ。
もう一つの特徴は、その二つの条件を備えていれば、トラックバックは無断で勝手にどんどんやればいい、そうじゃなければするな、という態度である。いわゆる「モヒカン族」的なトラックバックのとらえ方がこの文化圏の特徴だ。
今回のライブドアの方針に異を唱えたのが、この「関連仲間文化圏」の住人たちである。トラックバックは、リンクがあろうとなかろうと(いや、いちいち張ってられない)内容さえ関連していれば条件を満たしている、と考える人たちだ。
「CODY スピリッツ!:ライブドアブログのトラックバックスパム防止策導入についての文句をローゼンメイデン風に書いてみる」にはその典型的な考え方が示されている。
これだと、TBを打つ人が記事にURLを入れなくちゃいけないわ
ジュン「じゃあいっそのことURLを全部書いとけばいいじゃないのか?」
真紅「ジュン、その考えは最終的に行き着くけど、その考えもあまりよいものではないわ。」
蒼星石「それはどうしてなんだい真紅?」
真紅「このブログのローゼン記事平均TBは60ぐらい、響鬼記事に至っては100を越える日もあるわ、そうするとその分だけURLを本文に書かないといけないわ!それにいくらURLを書いても打ち漏らしは回避できないわ!」
はっきり言わせてもらうと、「言及リンク文化圏」の頭でこの文章を読むと、まさにカルチャーショック、いったいこの人は何を怒っているのか、はじめはまったく理解できなかった。トラックバック先のリンクを入れることを、なぜここまで嫌がるのか? 60とか100のブログにトラックバック送信? そうやらないとつながらないブログ群?
そもそものトラックバックに対する文化の違いを理解しなければ、こういう発想が存在することさえも信じられないものである。
どうやら、アニメや特撮などの番組の感想を書き連ねているブログ同士では、「同じ番組の感想を書いている」ブログのあいだでトラックバックを送り合っているらしい。確かに広い意味では「あなたの記事に関連するブログを書きましたよという通知」ではあるのだが、お互いにトラックバック/トラックバック返しをすることでつなげるという、まるで別の文化圏が存在していたのである。ちなみに、「言及リンク文化圏」では、一方がトラックバックを送信した時点で相互リンクが完成しているはずなので、トラックバック返しは「無意味なもの」として嫌われる。
ちょうど、「リンクフリー文化圏」の人に「相互リンク」という文化がまったく馴染まないのと同じような構図が見られると思う。
たとえどんなトラックバックが送られてきたとしても、相手にトラックバック返しをしたり、あるいは相手記事のコメント欄で「トラックバックありがとうございます」と返事をせずにはいられない文化圏の人たちもいる。これは最も一般社会的な「きちんと挨拶するちゃんとした人」たちである。
ここでは、内容が関連するかしないかはあまり関係がない。とにかく「トラックバック」だかなんだかわかんないけど、自分のブログに何か送信してくれた人がいる、という「何らかのつながり」があったことを喜んでいるのである。ちょうど、登山する人たちが、すれ違った相手は誰であろうと必ず挨拶を交わすように。
それが自分のブログにとって有益な情報かどうかも、この文化圏の人たちには関係がない。完全なスパムでしかないブログにも「トラックバックありがとうございます!」というコメントが数多く寄せられているのを見れば、その事実がわかるだろう。つまり「かまってもらえた」ことを喜んでいるだけなのだ。
ただし、こういう人たちは、一般社会の文化をそのままネットに持ち込んで日が浅い人たちである。言い換えれば、ネットはちょっと違うところなんだ、ということに気づきはじめた人は、たとえばスパムはやめてください、と言い出したり、リンクがなければ弾きます、と言い出したりする。つまり、スパム攻撃を受けてトラックバックの意味を考えはじめるようになると、「言及リンク文化圏」や「関連仲間文化圏」へ移行するようになる。
トラックバックの本来の意義だの、ネット内での交流だの、有益な情報交換だの、一切関係ない。多数のブログに対して一斉送信できる便利なツールをなぜ使っちゃいけないんだ?という、利己主義的なスパマー文化圏が最後に登場する。
彼らには、消す側の手間だの、ネット内の情報の質や検索の純粋性など、まったく考慮の外である。とにかく自分のブログ(またはネットショップ)に集客すること以外にまったく興味はない。対策を取られたら、また別の抜け道を探すだけ。
中には、ある程度言い訳のできそうなことを考えようとするスパマーたちもいる。たとえば、ある特定のキーワードで検索し、それでひっかかったブログに片っ端からスパムトラックバックを送信する。いや、無差別じゃない、キーワードが含まれてるから関連してるじゃないか、というのが彼らの言い訳である。こういうのがいるから「関連仲間文化圏」もスパムのように感じられてしまうのか、あるいは「関連してればいい」という人がスパム的に走ったときにこういうことをしてしまうのか、いずれにしろ、「関連仲間文化圏」の一部と、「spam文化圏」の理論武装部分は重なっているといえよう。
実際にこのような意見を堂々と述べる「関連仲間文化圏」ブログも存在している。
同じ話題なら、不特定多数へのトラックバックでも良いんじゃない?(・3・)
この文化圏の中で、もっとも厳密=非寛容なのが「言及リンク文化圏」である。常にトラックバックの意義を損なわないようにしようとする純粋主義でもあるので、作法の異なる「ごあいさつ文化圏」は余計な手間を持ち込んでうっとうしく思えるし、「関連仲間文化圏」はリンクの手間を惜しむスパマーとして認識される。
「関連仲間文化圏」と「ごあいさつ文化圏」はさほど衝突しないだろう。最大級の寛大さを見せる「ごあいさつ文化圏」が、内容的に関連しているブログからトラックバックされて喜ばないはずはないし、人間関係も何らかの「関連」であるととらえれば、「関連仲間文化圏」があいさつを拒む必要もない。
もちろん、spamと言及リンクは、十字軍とサラセン軍のごとく激しい闘いを繰り広げる。今回のライブドアの改善にまつわる騒動は、この聖戦でspam軍を撃退するために「関連仲間文化圏」にも犠牲を強いることとなった(あるいは「関連仲間文化圏」も「spam文化圏」の一部として巻き込まれた)ということになろうか。
そもそも、トラックバックはどのような趣旨で生まれたのか。
開発者による「トラックバックって何ですか?」を読むならば、この時点で二つの使い方が想定されている。それは、簡単に言い換えると、
の2つである。一つめはまったく問題ない。こういうトラックバックがまちがっているという人はいないだろう。問題は2つめだ。
これは、私のところでもわかりやすく説明しようとしたのが今から振り返ると失敗だったと思うのだが、これはいわゆる「トラックバックセンター」すなわちトラックバックを集めて関連記事リンク集を自動で作ることが目的のサイトのことを想定している。つまり、一般のブログの普通の記事に対して「関連があるからトラックバックを送りますよ」ということを想定してはいなかったということだ。
だが、このトラックバックセンターへトラックバックを集約するという使い方が、一般ブログでもまったく同じように適用できるのだという誤解が広まってしまった。
大手のブログサービスは、トラックバックセンターを設け、そこにトラックバックしてもらうことでトラックバック機能に慣れてもらおうと考えた。それもまた誤解を広めた。「何か関連する記事があったら、トラックバックを打てばいいんだ」と勘違いする人たちが続出した。
一方で、トラックバックセンター的コミュニティが独自の発展を遂げていた。たとえばFriday 5というサイトは毎週金曜日に5つのお題を出し、それにブロガーが答えるものだった。やがて、そのFriday 5についての日本版トラックバックセンターが生まれ、そしてその次に起こった現象は「Friday 5に答えた他のユーザーにトラックバックする。トラックバックされたら黙ってトラックバック返しする」というものだった。つまり、相手に言及している必要はない、ただ「同じ話題を扱っていたら、そのコミュニティ内部ではリンクせずにトラックバックを送り合う」というコミュニティが生まれたのである。
Friday 5は2004年に終了し、そのコミュニティも消滅したが、Friday 5日本ブロガー的コミュニティは受け継がれ、広まっていったようだ。
直接か間接かはわからないが、アニメ・特撮感想ブログ同士の相互トラックバック作法は、まさにFriday 5日本ブロガーコミュニティの文化をそのまま受け継いでいる。
「関連仲間文化圏」は、このようにトラックバックセンター型の使用法が一般ブログ記事にも拡大されることで生まれたものといえよう。
実は、対極に位置する「言及リンク文化圏」と「spam文化圏」だが、この二つはある一点でトラックバックの本質を同じようにとらえている。それは、トラックバックが「相手の記事からアクセスを奪ってくるもの」という事実だ。相手の記事に、自分のブログ(やサイト)へのリンクを自動的に掲載させる。それがトラックバックだ。だとすると、トラックバックによって生まれるアクセスは、「相手から自分」への一方通行なのである。アクセスを「奪う」と書いたのは、このためである。
それでよし、相手のことなんかどうでもいい、という利己主義者=spam文化圏は、そこで終わりである。「こいつら、自分の都合のために俺のところからアクセスを奪おうとしやがって」という反感を買おうが買うまいが、アクセスが獲得できればそれで目的を果たし、小銭を稼いで、次の場所へ去っていく。
それが気持ち悪いと感じるのが、「言及リンク文化圏」だ。アクセスをもらうだけもらっておいて、自分の方から相手に流さないのはアクセスのタダ取り、一方的で許されない行為だ、という考え方がある。したがって、「相手からアクセスをもらうなら、その前にこちらからアクセスを流す」という発想が根底にある。できるだけみんなが幸福になれる方法を考える、という言及リンク文化圏の発想は、リンクなしトラックバックを「アクセス乞食かspam」と切り捨てることになる。
何も考えていない「ごあいさつ文化圏」は脇に置いておくとして、「関連仲間文化圏」は、矢印の方向性についてはあまり気にしていないように思われる。つまり、「つながり」が重要だということだ。「月の静寂、星の歌:なのはWikiとか、トラックバックスパム対策に対する困惑とか、『すごく左寄りです』第3話とか」では「トラックバックリング」という言葉を使っているが、要するに「人の輪」としてトラックバックをとらえている。
「言及リンク文化圏」での「アクセスの流れ」または「言及通知」という意味合いとはまるで違ったものとしてトラックバックが機能しているわけだ。
さて、「livedoor Blog 開発日誌:年末年始を写そう!livedoor ピクスリニューアル、トラックバックスパム防止につきまして」にトラックバックされた記事をチェックしてみた。livedoorPicsに関するトラックバックと、重複を除いて、おおざっぱにまとめてみたのが次のグラフだ。
歓迎は(条件付き含む)賛成意見、反対は反対意見(面倒だなあ、も含む)。告知はただ単に「手間がかかりますよ」というお知らせ。考察はいろいろ絡めて考えている記事。不明は、意味がよくわかってないという人。そして、最後に記事と関係ないspamトラックバックが2位につけている。
すでにリンク先を表示するspamも含まれているので、100%の実効性がないのはわかっているのだが、ここで「反対」コメントがまさに「言及リンク文化圏」に対する文化衝突的な意見を述べているのが興味深い。
仲の良いブロガー同士の横のつながりが減るわけだし、一般ユーザーは、TBを利用する機会がほとんど減ってしまうと思います。
私もよくやることですが、ニュース系のブログなどで内容が関連しているときに
トラックバック先のブログを書かずにトラックバックを送ったりしますが、
その辺をライブドアはどう考えているのでしょうか?
またlivedoor Blog 開発日誌には記事どうしのより密接なつながりとありますが、
トラックバックを受けた場合トラックバックを返せば十分ではないでしょうか?
ふと思ったのですが、相手側のURLの表示なし(リンクなし)でTBを送りあう習慣というのはアニメ感想ブログ独特のものなのかな。大体TBの説明を見ると「リンクを張った場合にそれを相手に通知する方法」というような説明があって、それに従えば、アニメ感想ブログで日常的に行われている感想文へのTBの送りあいはちょっと異例なことになる。…こういう異例はどう扱われるのかな。TBの使い方としてリンクなしのやり方があるということも分かってくれるとうれしいんだけど。
正直、トラックバックリングを構成したことがない人が、このやり方そのものを批判するのはやめて欲しいです。
つまり相互リンク頂いているようなブログ同士では、わざわざ相手のURLなど入れなくとも【暗黙の了解】が成立していると思うのですが、開発者の偏った発想には疑問を感じます。
とまあずらずらと引用してみたわけだが、まさに「関連仲間文化圏」の典型的な思考方法が伺える。たとえば、相互リンクしてあるからいいというのであれば、トラックバックを送信する必要さえない、というのが「言及リンク文化圏」の発想だ。トラックバック返しをすればいい、という意見も、「わざわざそういう手間をかけさせるのはどういう了見だ」という反論が文化の違いから生じる。
もちろん、「文化の違い」そのものに正邪はない(spamは利己主義なので嫌われるが、彼ら自身はそれが間違っているとは思っていない)。しかし、文化圏の違う人間同士が接することになったとき、どうしても衝突が起こってしまう。うちのブログであれば、ミュージカル・バトンが流行したとき、こちらに何の言及もしていないのにミュージカル・バトン関連だからとトラックバックを送ってくる「関連仲間文化圏」の人がいたので、削除したが追いつかなかった。相手にしてみれば、なぜ削除されたのかもわかっていないのだろう。それが文化衝突というものだ。
ここしばらくの記事でも言っているとおり、文化衝突であるならば、それを解決する方法など思い浮かばない。相手に考えを改めるよう強制することなど、とうてい不可能だからである。
ちなみに「文化圏の違い」という言葉を使っているブログがあったので、意見も似ていることだし、ここにリンクしてトラックバックしておくことにする。