このページは移転しました。
移転先はこちら→「日本語ラップ問題と音節構造」
最近、「日本語はラップに向いていない」という話題が盛り上がっているようなので遅ればせながら。確かに、日本語の音節構造はあまりラップ向きではないという印象はわたしも持っている。ただし、それは日本語ラップ曲がいいとか悪いとかいうこととはまったく関係しない。ラップというのが、日本語と音節構造の違う英語から生まれたのだから、単に当たり前のことを言っているにすぎない。それから、日本語ラップはあまり聴かないので、擁護も批判もする気がないことは最初に断っておく。
個人的には、広東語ラップがちょう気持ちいいと思っているのだが、本当に広東語というだけでカッコよく聞こえる。つまり、ラップ向きの言葉とそうでない言葉は確かにあると思うのである。もちろん、向いていない言語でラップに挑戦するのは面白いことだと思うが、生まれながらのハンデというものはあるはず。
というわけで今回は軽く、あくまでも言語学的に。
最近、中華ポップスファンとも話していて共通見解に至っていたのだが、「広東語のラップは、日本語と中国語(北京語)よりも、かなり気持ちいい」ということだ。それは、単純に音節構造にあるような気がする。
まあラップと言ってもそんなに聞き込んでいるわけではないのだが、とにかく広東語のラップはカッコイイし、リズム感がある。Twinsのラップなんて本気でカッコイイ。
一方、同じ中国語といっても北京語(普通話)のラップは言語自体がもっとのっぺりした印象。日本語ラップと似たような感じがある。といっても、嫌いじゃない、というより中国娃娃やS.H.E.のラップはおすすめなのだが*1。
で、日本語と北京語(+中国普通話)を一セット、広東語を別のセットとして対比すると、これは明確な違いがある。
日本語も北京語も、p,t,kといった子音で終わることはなく、母音またはng,m,n(ン)で終わる。
一方、広東語はp,t,kといった子音で終わるものが多い。葉倩文の通称は「サリー・イェップ」で、葉=Yipなわけだ(北京語ではYe、日本語ではyou)。イェップとイェーとヨウではどれがリズミカルに聞こえるか、ということはすぐにわかる話だろうと思う。
英語でも「音節末の子音」があるのは言うまでもない。hip hop もpで終わるし、book, shutなども当然子音で終わっている。日本語読みするとそれぞれhippu-hoppu、bukku、shattoとなることを考えれば、英語や広東語の「歯切れの良さ」は歴然としているといえよう。
英語と日本語の違いでラップに絡みそうなのは、アクセントの問題である。英語は強弱のアクセントで、日本語は音の高さによるアクセントとなる。
中国語も高低アクセントで、北京語の場合は一つの音節の中に四種類の声調の変化がある(四声といって中国語学習者の難関の一つ)。で、有名な話として「中国語の歌は、聞いただけでは中国人にも意味がわからない」というのがある。というのも、歌うときには四声が消えてしまうからだ(四声をそのまま発音しているとメロディにならない)。ラップの場合はある程度四声が復活するようだが、もとのアクセントが弱まるのは事実。とすると、日本語と同じように「のっぺりしたような発音」になりやすいわけである。
広東語の場合は声調が消えてもまだ音節末子音の歯切れの良さで勢いよく聞こえるわけだが、北京語ラップがそれに比べて柔らかく聞こえるのは当然といえよう。
と書いていたら、台湾のbutさんから間違いを指摘された。
広東語はわかりませんが、北京語や台湾語の場合、ラップにしても声調(北京語でいえば四声)を変えることはできません。最近の日本語のラップはアクセント無視で歌うものが多いので、中国語より日本語のほうがラップに向いているではないかと。
よく聞いている台湾語のラップは普段しゃべってる言葉とまったく同じアクセントで歌いますね。違うところはリズム感を入れるだけです。
ということなので、四声は残るが逆にそれに支配されるので、日本語の方がメロディ的には自由度が高いということになりそうだ。もちろん、四声も考慮したラップも出てくるだろうが、高度な作詞技術がいりそう。
さて、「オルタナソウルエイリアン 日本語はラップに向いていない」では、「日本語は音素数が少ない」ゆえに「押韻が難しい」と書かれている。ただ、音素数という構造上の問題よりは、歴史的に押韻という習慣がなかったことを取り上げるべきだろうと思う。
日本語の韻文では、押韻は基本的にそれほど重要視されず(ないわけではない)、代わりに「拍の数」が非常に重要だった。つまり、「五七五七七」という五七調に代表される音数である。厳密には休止拍も含めて「八拍」が日本語の「リズム」ということになる。
中国語の場合も日本語と似ているがもう少し複雑だ。漢字一文字が一音なので、「五言絶句」や「七言律詩」といった文字数=音数によるリズムに加えて、一音ごとのアクセント(声調=平仄)、そして末尾の音の押韻という三つの要素が重要となる。
ギリシア語やラテン語では、強弱リズムではなく、母音の長短によるリズムが中心であった。そして、長短の組み合わせで「格」が決まっていた。ホメーロスなんかを原文で朗読するときは、この長短リズムを絶対に外してはいけない。
そういうわけで、ラップというのは「強弱アクセントと押韻」を必要とする英語から生まれたものである以上、そうでない言語では完全に当てはまるわけではない、というのは当然の話だといえる。
したがって、日本語ラップは「日本語を英語化してラップする」「メロディアスなラップの道をたどる」、あるいは「日本語に合った(拍数を基本とした)リズミカルな歌を新たに開発する」か、どちらかの道をとっていくことになるのだろう。
「mikelogue: 日本語はラップに向いていない」のコメント欄のkofさんの発言「日本語は確かにやわらかい音が多いですし、そういう点ではリズムのキモとなるアクセントを出すのには困難が付きまとうとは思いますが、リリックにおいて硬い質感の言葉を選ぶ、また音程の変化を強調してみるなどの手段を用いる事で、十分に日本語ならではのラップの手法を開拓する事は可能です。」というのはその一つの路線であろうと思う。現在の日本語ラップでも英語を随所に含むとか、メロディアスなラップが人気だという事実は、その表われだろう。